常識を知らないと非常識だと叱られて、勉強が足りないから教養が身についていないなどとなじられる。でも一万円札の代名詞「聖徳太子」や、よくわからなくて日本史の勉強から脱落するきっかけとなった「大化の改新」などの名称は、「実は、ちょっと・・・」ということになったらしく、なんと表舞台から消えてしまった。

・音声のステレオ効果は、パリの万国博覧会の会場で偶然に発見された
・放送の語源は外洋に出た潜水艦の通信
・CDの音楽記録分数の上限が74分というのは、カラヤンが自分の第九の演奏を入れたかったから

こういったエピソードもこんにちでは根拠が調べあげられて修正されているけれど、間違っていようが何だろうが、こういった話が私は大好きである。試験でそういう回答をしたら×になる、そもそも試験に出題されるわけもないようなことがらには、なんだか夢がある。百聞は一見にしかずというけれど、百聞こそおもしろいではないか。
ただしスポーツをテレビ観戦すると、一見のありがたみを感じる。後楽園球場の外野席で王選手と江川投手のホームランを見たことがあるのが私のひそかな自慢なのだが、バットでたたかれたボールが客席まで飛んでくる立体感は忘れられない。家族とキャッチボールをよくやったから、暴投やエラーの悔しさも少しはわかる。小さな体験でも機会があればやってみたほうがいいようである。
とはいえ、スポーツのテレビ観戦は体験の有無にかかわらず、ついのめり込む。ふだんサッカーは全く見ないけれど、2011年の女子ワールドカップは生放送にかじりついた。準決勝で相手スウェーデンのゴール・キーパーが前に出る展開となり、日本のパスがぽーんと飛んできてワンバウンド。それを川澄選手がぽーんと蹴った。ボールは高く放物線を描いて相手キーパーの頭上を超えて30メートル、ワンバウンドで見事にゴール。ぽーん、ぽーんと、これを決めた選手たちのテクニックはすごいものなのではないだろうか。決勝戦は深夜から未明にかけての生放送で、これは妻も見た。はじめのうちはソファーに並んで座っていたけれど、妻は目が近いのでそのうち床に座り、だんだんとテレビに近寄るので私は身をよじって応援しなければならない。「オフサイドってなぁに?」といったがっかりな質問は許すとしても、ちょっとお手洗いとか言って立ち上がると画面が遮られてしまう。「あ。ばかもの、なにをするか」などと暴言を吐いても、こういう場合けんかにならないから不思議である。
ことしはラグビーのワールドカップで日本が予選を突破したからもうたいへんで、何がたいへんかというと、妻も私もルールがちっともわからない。
サッカーを見た大きなテレビは、息子が1人暮らしを始めるときにゲーム用として持ち去ったので現在我が家には10インチほどの小さなテレビが食卓に置いてある。ラグビーの試合が進むと、妻の顔はテレビの30センチほどにまで近づく。老眼になった私はまたしても身をよじらなければならない。「あ」とか「う」とかうめく私に対して、妻は「いま、どうなったの」「試合時間はあと何分なの」といった比較的理性のある質問をする。さすがは大学教授である。ちょっとくやしいから、こっそりルールを勉強して準々決勝のテレビ観戦に臨んだところ、神よ、日本は敗退してしまった。
さて。テレビドラマなどで昭和を再現する場合、よく街頭テレビが登場し、そこに映っているのはプロレスであることが多いことからもわかるように、スポーツ中継は激アツなのである。その効果を最大限に演出するために、NHKは「スポーツショー行進曲」(1949年、古関裕而)、日本テレビが「スポーツ行進曲」(1953年、黛敏郎)を作って中継の冒頭から観戦者を盛り上げている。
80年代後半に盛り上がったF1グランプリでは、フジテレビがスクェアという通称を持つバンドの曲を採用して「このスポーツ=この曲」というイメージ戦略に成功を収めた。同じような時期から各回のオリンピックやワールドカップなどで放送局はテーマソングを作るようになったのだが、60年代のザ・ビートルズ以降、商業音楽、なかでもSongは再生されることのない消耗文化になってしまっていて、これが選手の世代交代と共に人気が浮き沈みするスポーツの流行サイクルと重なり、娯楽の定番となるような中継番組が少なくなった。
たとえば野球中継をみるとき、冒頭で流れる行進曲を聴くと、応援歌を聴くような高揚した気持ちになる。ひいきの球団が優勝した年を思い出す。これはフジテレビのF1グランプリのテーマ音楽にも同じような潜在効果があった。音楽から受けるイメージを、聴くひとのイメージで解釈する自由があるためで、テーマ曲に歌詞がつくと解釈の自由度が減り、共感が持てなくなるおそれがある。サッカーのワールドカップでテーマソングを作った場合、初めのうちは日本チームの応援歌として幅広く支持されるけれど、予選敗退後はなんだか残念な印象をはらんだ音楽に変わってしまったと感じる人もいるだろう。音楽が番組に及ぼす影響を、もう少し慎重に考えられなければいけないのではないだろうか。結果論かもしれないけれど、水戸黄門にはテーマソング、大岡越前のほうはストーリーの顛末にバラエティーがあるので歌詞がない音楽を使っていたではないか。
こういったことは音楽心理学ではなく音楽社会学で、20世紀前半のドイツの社会学者、哲学者、作曲家でもあるテオドール・アドルノの著書がこんにちでもいくつか日本語版で販売されている。また読みたいと思うけれど、あの手の書籍はどうしてあんなにも字が小さいのか。
しまった。老眼とともに、愚痴も進む。
日本が歌詞に無頓着であったわけではなく、明治時代には歌詞のことばのどこに音楽のアクセントを置くべきかという冊子のような辞書を役所が作った。近年はことばを音のように使うといった考え方もあるように、西洋のシステムに日本語を使うことについては長年の挑戦が続いている。このホームページのspecial archivesで紹介しているpneumaのパフォーマンスも歌詞については独自のアプローチをしているように思う。このグループを主宰する堅田優衣さんは、日本の音楽大学で作曲を修め、フィンランドで合唱指揮を修めた。彼女の作曲した合唱曲は日本の出版社からもフィンランドの出版社からも出ている。彼女が日本で行う主宰グループのコンサート・プログラムには外国語の合唱が多く、フィンランドで出版してフィンランドで初演された「ホトトギス」という合唱曲に使ったのは日本語であるといったスタンスに興味をひかれる。彼女は作品やパフォーマンスについて多くを語らないけれど、百聞は一見にしかずの心得でpneumaの練習を見学したことがある。音楽とかことばの理屈以前に、堅田さんはメンバーの個性をみつめながら、彼女たちの心身から響きを導き出しているといったような印象を受けた。準備体操と呼ばれるウォーミングアップは、壁にもたれて、隣の人を見つめて、手を握って、あおむけに横になって、脇を開いて、といった静かな指示でメンバーがゆっくり動きながら、自由に長く声を出す。音程の指示は全くないのけれど、数分もすると素晴らしい響きで満たされるという驚きの体験だった。これだけでもまた聴きたいという衝動に駆られる。
ちなみに、メンバーは学生さん、社会人、お子さんを持つ方、首都圏以外に在住の方とさまざまである。公開練習もするし、公演の機会も増えているし、堅田さんは合唱指揮のワークショップも開催しているから一見の機会はわりと多い。
津々浦々にいろいろなものがあるけれど、体験のたのしみはスポーツも音楽もおなじだろう。